維新(これあらたなり)とは。


選挙前後になると決まって目にする「維新」の2文字。

明治維新を手本とする改革の旗印。

そこに歴史に学ばぬ人々が騙されるロジックありやなしや(笑)

果たして、坂本龍馬や西郷隆盛ら維新の志士たちは本当に日本国の未来を憂い志を持って倒幕に動いたのか?

そして維新政府は無為無策で統治能力に欠けていた崩壊寸前の徳川幕府に代わり長きに渡る封建制度を終わらせ輝かしい近代国家に日本を生まれ変わらせたのか?

答えは、

~歴史とは勝者によって作られる~

約300年間、戦争どころか内戦さえなかった江戸時代は近年、今まで通説とされてきたことが誤りであったことが証明されている。

江戸時代は徳川幕府により「士農工商」で身分が固定された「封建社会」であり、
特権階級であった武士は「切捨て御免」により農民は重税に庶民は理不尽な仕打ちに苦しめられていた・・・

というのは、

「真っ赤な嘘」

江戸幕府は徳川家の独裁政治ではなく、各藩に自治が認められたいわば
「連邦国家」

人々の身分は固定されていたものの実質は農村でも寺子屋で読み書きそろばんを習うことができ、商家の丁稚になって商人として成功する道や、武士階級の勘定方は読み書きそろばんができれば身分を問わず採用された完全な「実力社会」だった。

武家になることすら株の売買で可能であり、坂本龍馬は商家の出身、勝海舟の祖父のは金貸しの商人だった。
身分に縛られたのはむしろ「武家」であり、下級武士の家に生まれた者は養子にでもならなければ上級武士になることはできなかった。

明治維新とは薩長の下級武士によるクーデターであり市民平等の名の下に自分たちを華族(貴族)にして士族、平民の族称をつけ区別した。ちなみに昭和22年5月3日、日本国憲法第14条の規定で廃止されるまで華族、士族の族称は戸籍に記載されていた。

さらに徴兵令、秩禄処分、廃刀令で士族から帯刀の特権を奪い平民を徴兵して編成した軍隊で神風連の乱、秋月の乱、萩の乱、西南戦争など明治政府に対する士族反乱を鎮圧してゆく。

明治政府への士族の反乱は、西日本、佐賀、秋月(福岡)、萩(山口)、熊本、宮崎、大分、鹿児島で起こったが、旗本八万騎といわれた徳川家家臣は反乱を起していない。3万ともいわれる徳川家家臣団はどこへ行ったのか?約半分は徳川家とともに静岡に移り荒地を開墾して苦労の末に静岡牧之原茶の礎を築き、残りは政府に出仕し新政府を支えた。

明治政府は徳川幕府のシステムを引き継いだだけである。
それは現代まで引き継がれ政権を担う党は替わっても官僚制度は変わらない。

明治政府がしたことは「尊皇攘夷!尊皇攘夷!」と叫び300年続いた徳川幕府の時代を終わらせ幼い天皇を擁立するも摂政を置かず自ら実権を握り、徳川幕府の描いた戦闘プロ集団である武士による近代化軍隊の計画を潰し、かつて自分たちより身分の上であった士族を排除して平民から徴兵した軍隊で同胞を殺し、太平洋戦争へと続く、日清、日露戦争と向かったのだ。

「憲法9条により永く平和を守ってきた日本」と言われる現在の政府は明治維新から160年、戦後70年しかたっていないのだ。

あたらしきことが全て良いとは限らないのだ。